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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第4節 初雪 [2]




「言いたい事はわからなくもありませんけれど」
 スラリと伸びた足の重心を少し移動させ、似内は胸の前で腕を組んだ。
「山脇瑠駆真も大迫美鶴も、我が唐渓高校が入学を許可した生徒です。山脇瑠駆真の素性を疑うという事は、つまりは入学を許可した理事長の判断を疑ったという行為ではありませんの?」
「そのようなつもりはありません。ただ私は――」
「でしたら」
 強引に遮る。
「今後、無断で生徒の素性を探ろうなどとは思わないでくださいませね。大丈夫ですわ。唐渓に通う生徒は、皆理事長が入学を許可してもよいと判断した生徒ばかりです。浜島先生が素性を心配する必要はありませんわ。ただ、入学した後に何かしらの問題を起こす可能性はありますからね。先生はそちらの方へ目を向けてくださっていればよいのですわ」
 自分よりもずっと歳若い女性の嫌味のような言葉に、浜島は眉を潜める。
 山脇瑠駆真の素性くらい、教えておいてくれればこんな事にはならなかったものを。
 だが、そんなグチを廿楽に吐いたところで何にもならない。グッと言葉を呑み込み、表情も整える。
「まぁ、とにかく今のところは華恩さんの卒業に関しても山脇という生徒に関しても問題は無いワケです」
「でも、大迫という生徒はずいぶんと厄介な存在のようですし。ほら、先日テレビで見ましたけれど、例の数学教師の件だって、あの大迫という生徒が絡んでいたというじゃありませんか」
「あぁ、あの件ですね」
「あの事件に関しては、学校側は関与の否定と学校のイメージ低下を避けるためにかなり苦労したとか」
 確かにあの件は厄介だった。あろうことか現役の数学教師が麻薬に関与していたなどとは、スキャンダルもいいところだ。
「大迫という生徒、実は本当は麻薬に手を出していたんじゃありません?」
「それは無いようです。警察からもハッキリと否定されました」
「でも、火の無いところに煙は立たずって言いますし」
「まぁ、怪しまれてもおかしくないような素性の生徒ですからね」
「本当にあのような生徒をこのまま通わせて、大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫で、あって欲しいものです」
 浜島は力を込めてそう唸る。
 本当に、もうこれ以上何も問題を起こしてくれるな。いや、いっそ問題でも起こしてくれれば、さっさと退学にして追い出せるというのに。今までにも何度か機会はあったのだ。なのになぜだかあの生徒は、いまだに唐渓に在籍している。
 なんて目障りで厄介な存在。なぜあのような生徒がこの唐渓に居るのだ。
 思い出すだけで、怒りで震えそうになる。
 追い出したい。だが、それは浜島の力だけでは無理な事。
 こういう時、権力があればと思うこともあるが。
 だが浜島は、校長職への昇進を断った。飽く間で現場に(こだ)った。
 私は権力や財力を求めているのではない。私が求めているのは―――
 遥かな夢。
 浜島は一瞬その想いに浸り、だがすぐに現実へと舞い戻って大きく息を吸った。
 今は浸っている時ではない。そうだ、私には休んでいる暇などないのだ。
 言い聞かせ、ひたすら不安げな表情を浮かべる相手に愛想よく笑った。
「ご心配には及びませんよ。とにかく今ここで二人で論じたところで何かが解決するワケではありません」
 少し時間を費やし過ぎた。そろそろこの金持ち婦人とのおしゃべりも切り上げなければ。
「ですから廿楽さんは、何も心配せずにゆっくりとオーストラリアで新年をお迎えください」
「ニュージーランドですわ」
 途端、廊下を寒風が吹き抜けた。





 阿部(あべ)は背後の声に振り返る。危うく腕に抱える資料を落しそうになり、慌てて抱えなおす。見ると、相手も重そうな資料を抱えていた。
「阿部先生、歩くのが早過ぎます」
 言いながら、同じ二年の担任をしている女性教諭は阿部の前で立ち止まった。
「今日の職員会議の資料なんですけど、土曜日にお願いしておいた分、いつごろできあがります?」
「あぁ それだったら」
 言いながら手元へ視線を落す。
「もうできてますよ。今からコピーしますから、ホームルーム前にはお渡しできますよ」
「あら、助かりますわ」
 女性はよほど心配していたのだろうか。阿部の言葉に胸を撫で下ろす。
「阿部先生はいつもお忙しそうだから、お願いして悪かったかと」
「量はかなりのものでしたけどね。内容は単純でしたから、昨日仕上げてしまいましたよ」
「あら、持ち帰りはよくありませんわよ」
 睨め付けてくる視線に、阿部はヒョイッと肩を竦める。
「あなたにそれを言われたくはありませんね」
 その言葉に、今度は女性が肩を竦める。
 月曜の朝。まだ早い。出勤してくる教師や職員もまばら。生徒もいない。
 冷えた廊下。女性は肩を竦めたまま少し前屈みに身を寄せてきた。
「それにしても、本当に阿部先生は大変ですわよね」
「はい?」
 女性はチラリと辺りへ視線を投げながら声を潜める。
「大迫美鶴の事ですよ。あんな生徒のクラスを受け持ってしまって」
「あぁ」
 どう答えてよいやら思案する阿部に、女性教諭は続ける。
「進路相談は終わりました? 彼女の進路、大変じゃありません?」
「そうでもありませんよ。成績が明確なだけに進路も明確です」
「でも、彼女の親はホステスでしょう? 大学受験なんて、できますの?」
「してもらわなければなりませんね。それがウチの規則ですから」
「でも、そんな経済力があります? ホステスが娘の大学受験を望むとは思えませんわ」
 何を根拠にそう考えるのか? まったくの偏見を、女性はごく当たり前のように言う。







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